
みなさん、こんばんは。
今日はニンジンを掘りました。そのまま畑に置いておくと、ニンジンが割れたり、虫に食べられる部分が多くなります。今日収穫したのは畝(うね)の5分の1くらいです。だから、写真の4倍くらいが まだ畑に残っています。手袋の大きさと比べると、けっこう良いサイズと収穫量だと言えるでしょう(LQ老師は自慢話が多いですね)。
この写真と文は、私と学生たちとのコミュニケーションの一環として、Dingtalk上に掲示したものです。
みなさん、こんばんは。
今日はニンジンを掘りました。そのまま畑に置いておくと、ニンジンが割れたり、虫に食べられる部分が多くなります。今日収穫したのは畝(うね)の5分の1くらいです。だから、写真の4倍くらいが まだ畑に残っています。手袋の大きさと比べると、けっこう良いサイズと収穫量だと言えるでしょう(LQ老師は自慢話が多いですね)。
この写真と文は、私と学生たちとのコミュニケーションの一環として、Dingtalk上に掲示したものです。
ある学生への返信:はが構文など、助詞の諸問題について
○□□さんへ
夏休みを楽しんでいますか。“「我腰痛」に纏わる感想”を送ってくれてありがとう。囲碁と将棋のたとえは、私にはむずかしかったですが、だいたい、○さんが言いたいことは分かりました。この返信は長くなりましたから、私もワードファイルにして送ります。
日本語は語順に自由度があると言っても、自然な語順があります。はが構文はその代表例でしょう。だから、中国語を母語とするみなさんが、日本語も語順で文が構成されていると思うことも、無理は ないと思います。実際のところ、助詞がなくても、自然な語順であれば、個々の単語の意味も手伝って、理解可能になります。
例1:俺、明日、学校、行くよ。(自動詞文)
例2:俺、晩飯、もう 食べた。(他動詞文)
しかし、だからといって、助詞を習得しなくて良いと言うことにはなりません。「中国語を母語とするみんなは助詞に対する感覚が鈍く、積極的に詞の形態を活用して文を作る意識も低いので、」と○さんは書いてくれました。みなさんは個々の助詞の機能に対する感覚が鈍いまま、なんとなく、語順から言って、1番目には「は」が多いだろう、2番目は「が」が使われるだろう、というように助詞を割り当てているように、見えます。
第二言語習得理論における「中間言語」という概念を知っていますか?学習者個人が自分の中に作り上げる第二言語の文法体系のことです。中間言語は完全ではなく、発達段階にありますから、間違った文法も含まれます。母語干渉を受けやすいですし、間違った文法を固定化させると(化石化と呼ぶ)、修正が困難になる場合もあります。
私が○さんの2年上の先輩を担当したとき、彼らは明らかに「はが構文」に執着し、助詞「を」が使えませんでした。そのため、授業中に「はが構文」の制約と他動詞文における「を」の使用を説明しました。○さんの1年上の学生は1年生から担当しましたので、最初から「を」の使用と「はが構文」の制約を教えました。また小テストで助詞の習熟度を調べて、「はが構文」で化石化しそうな学生に着目したりしました。
○さんの学年は、2年生になったときからの担当でした。まず○さんのクラスで助詞テストをやった記憶があります。不思議なことに、2年上や1年上の学年に見られた「はが構文」への執着は○さんたちの学年の学生ではそれほど深刻ではありませんでした。ですから、みなさんには「はが構文」の制約を ほとんど教えていません。ところがどうでしょうか。みなさんが2年生を終わる時点になって、「はが構文」に執着する人が増えてきたようです。この1年間、日本語を勉強する中で、助詞を順番で「~は~が」とする学習者個人の中間言語が形成されたと考えられます。
だから、私としては、「はが構文」の問題や「を」の使用について、みなさんに対しても、もっとよく説明するべきだったと反省しています。
次の学期から○さんの1年下の学生を担当します。今、教科書を見て聴解の授業の準備をしています。その教科書で学んだら、学生のみなさんは 助詞「が」が 目的格の助詞だと思うでしょう。「が」は主格の助詞であることが基本ですが、学習者にはそうは思えない教科書の作り方になっています。こういったところは、教師がきちんと説明しなければいけないと思っています。
今 私の頭の中にある問題点・課題は次のようなものです。たくさんあるので、○さんは考えなくてもいいです。
・学習者は「を」を使うべき所に「が」を使う(「が」を目的格に使用)。
・しかしそれだけではなく、「は」の使用領域にも「が」を使う(後述)。
・「が」の使用領域の拡大は「はが構文」の影響だけでなく、もしかして「这个/那个」の「个」の影響か(なんでも母語干渉の可能性にするのは悪い癖ですが)。
・「を」を理解させるとき、中国語の「把」構文は利用できないか(私の中国語の理解は浅いです)。
・日本語の文型を教えるとき、なるべく決まった語順にしている。語順を一定にするのは、学習者の負担を減らすためである。しかし、その配慮が かえって「助詞は語順で決まる」という間違った中間言語を形成させるのではないだろうか。助詞は、語順ではなく機能で決まることを習得させるためには、意図的に語順が違う文に触れさせるのが良いかもしれない。
例3:先生に辞書を借りました。
例4:辞書を先生に借りました。
私は2学期の疲れが抜けないので、ごろごろしながら、微信のライブを見ています。中国の人が釣りをしたり、朝市を歩き回ったりするのを、スマホで ぼうっと見ています。ところが、終わったライブストリームについて、日本語で
「ライブストリーミングが終了しました。」
と表示するのです。よく新情報に「が」、旧情報に「は」を使うと言います。ライブを見に来る人にとって「ライブストリーミング」は すでに頭の中に意識された旧情報です。ですから、「は」を使って、
「ライブストリーミングは終了しました。」
としなければなりません。「が」の使用範囲を拡大してしまうのは第二言語習得理論における「過剰般化(かじょうばんか、あるいは過剰一般化)」の問題かもしれません。
以上です。
2022.7.11 LQ老師